2014年10月10日
阿部敏郎の「いまここ塾」

サンマーク文庫 あ-5-1
阿部敏郎/著
出版社名 : サンマーク出版
出版年月 : 2013年12月
ISBNコード : 978-4-7631-6037-9
(4-7631-6037-0)
税込価格 : 693円
頁数・縦 : 254P 15cm
「いまここ」を生きれば、一瞬で幸せになれる。
こんにちは。スタッフの石川です。
今日、ご紹介するのは、『阿部敏郎の「いまここ塾」』という本です。
文庫サイズで読みやすくなって登場です。
中身を一部、ご紹介いたします。
悟りっていうのはね、何かすごく偉い人になるわけじゃない。
すぐれた人格者になることじゃない。
突出した魂になることじゃない。
聖人になることじゃない。
当たり前の人間になることなんです。
自分が当たり前であるということを、心の底から受け入れることなんです。
通常我々は、自分が当たり前じゃないと思っている。
自分はちょっと特別だと思っていますから、その特別さを超えることなんですよ。
自分は取るに足らない本当にありふれた、ごくありふれた存在だっていうことを心から認め、そしてそれを評価せずに受け入れることです。
「何だ、当たり前なのか」っていう、この態度はもう評価してしまってますよ。
「当たり前じゃイヤだ、当たり前じゃつまらない」と、そういう評価がもうすでに入っている。
当たり前だという事実を、心から当たり前だという事実を受け入れることです。
でも、それをとことん感じると、同時に自分というものはとてつもなく偉大で、時空を超えた「神」「仏」そのものだったんだってわかります。
自分がすべての存在と等しいから、自分はすごく当たり前なわけですが、同時にそれはとてつもなく素晴らしいことであると。
それがわかると、二度と同じ人間ではいられないです。
同じ生き方をしようとは思わない。
そんなふうに言うと怖がる人がいますが、変化を恐れることはないです。
それはとても素晴らしい変化ですから。
泥水しか飲んだことがなかった人が、一度でも清水を飲めば、次からは泥水を飲みたいと思わなくなるのと同じですから。
そして、その情報をみんなに伝えたくなるんです。
たとえば、あなたが生まれた地球が、目の見えない人ばっかりが住んでいる星だったとしましょう。
その星に暮らしてる人は全員、目が見えない。
そういう地球に僕たちが生まれたとしましょう。
もちろんあなたも、ある年まで目が見えなかったんです。
そして、それが人生だと信じていました。
他のみんなもそうだったから、他の可能性を考えることもなかった。
ところがある瞬間、神様のいたずらで、あなたの目が一分間だけ開いちゃったわけです。パッて。
ものすごくビックリします、「えっ!」って。
でもいままでどおり空気はあるし、いままでどおり母親も父親もいるし、いままでどおり触ったらあるし、でも現実の姿を初めて見て、花は全部色が違うこともわかった、夕焼けがとてもきれいだ、ああ、なんて素晴らしい世界だったんだ。
こんな色彩にあふれた、こんな感動的な、こんなに美しい―それまでは美しいっていう概念もないですからね、視覚の閉ざされた世界で生きていたから―こんな感動的な美しい色彩にあふれた、こんな素晴らしいところに自分はいたのか、と思ったら、また目が閉じちゃった。
さあ、あなたはもう黙っていられません。
「聞いて聞いて、花って赤いんだよ」
「何だよ、赤って」
「黄色もあるんだよ」
「何だ、黄色って。何でおまえにそれがわかるんだ」
「本当だよ、たしかにそうだったんだよ」
「おまえの幻想だろ、そんなもの」
ある人は「あいつは変なこと言って人を惑わしている」って。
でも真実を見たその人は、この世はいかに美しいか、明らかにそれは人生の中で最高の経験だったわけで、何とかそのことを人に伝えたくて、急いで言葉にして、点字の本まで出しちゃった。
まあそれは、目の見えない人たちも心の底のどこかで知っていたから、その人はだんだん評価されちゃって、あの人はもしかしたらすごいものを見たのかもしれないって言われ出した。
そうすると反対に、絶対そうじゃないって立場をとる人も出てくるわけで、「何だおまえ、何を根拠にそう言うんだ」って命がけでその人に反対する。
こいつの言っていることはおかしいぞ、こいつは自分の幻想を人に押しつけて人を惑わしているぞ、こんなやつは殺してしまえ、ハリツケだ、こんなやつはここから追い出してしまえ。
いろいろなことを言ってくる。そして、そのメッセージがいかに間違ってるかっていう本を百冊書いた。
でも、そうやってその人をどんなに攻撃しようと、反論本を百冊も書いたその人が、偶然たったのコンマ一秒でも、パッと目を開ければ、そこですべて終わります。
もう二度とそんな本を書かないし、二度と反対しない。
で、その人はその人なりに、そのコンマ一秒のことを、人に話しはじめるんです。
話さずにいられない、そういうものなんです。
(本文より)
「悟りとは、当たり前の人間になること」
この言葉にまず私は驚かされました。
「悟り」というのは、特別で、すごくて、素晴らしい、とんでもないものだというイメージだからです。
でも、本当は当たり前であることを受け入れることで、その当たり前こそが本当はものすごいことなんだって気づくことなんですね。
当たり前であることが幸せです。
すべて等しく同じであるから、どちらが上とか下とかもありません。
どちらが間違ってるとか正しいとかもありません。
ただ「違い」があるだけです。それだけです。
同じひとつの手の中の、小指と親指の違いのようなもの、私はそう思います。
どちらも必要で、どちらもも同じくらい大事です。
この世界はそういうものなんだろうなぁと思います。
これが正しい考え方だからじゃなくて、楽しい考え方だから、私は受け入れます。
みんな、自分が一番信じたい世界を信じています。そして、そういう世界を見ています。
あなたと私が見ている世界は違います。
誰一人同じ世界を見ていません。
なぜなら自分で選ぶことができるからです。
チャンネルを選ぶように、自分の見たい世界を選ぶことができます。
テレビがなぜ映るのか、その仕組みを知る人はあまりいないかもしれませんが、テレビに何が映るのか、知っている人はたくさんいます。
世界も同じです。
なぜそうなのかはわかりませんが、世界は確かに私たちの目に映っているのです。
これって、すごくおもしろくて、楽しいことだと思いませんか?
私は思います。そしてわくわくします。
世界って、なんてすごいんだろう!って思います。
世界を確実に見る方法(よりリアルに素晴らしく可憐に!)、それは「いまここ」に生きることです。
これは本当に難しいことだけど、驚くほどシンプルなことです。
いまここで、素晴らしい人生が輝きますように!
今日、ご紹介するのは、『阿部敏郎の「いまここ塾」』という本です。
文庫サイズで読みやすくなって登場です。
中身を一部、ご紹介いたします。
悟りっていうのはね、何かすごく偉い人になるわけじゃない。
すぐれた人格者になることじゃない。
突出した魂になることじゃない。
聖人になることじゃない。
当たり前の人間になることなんです。
自分が当たり前であるということを、心の底から受け入れることなんです。
通常我々は、自分が当たり前じゃないと思っている。
自分はちょっと特別だと思っていますから、その特別さを超えることなんですよ。
自分は取るに足らない本当にありふれた、ごくありふれた存在だっていうことを心から認め、そしてそれを評価せずに受け入れることです。
「何だ、当たり前なのか」っていう、この態度はもう評価してしまってますよ。
「当たり前じゃイヤだ、当たり前じゃつまらない」と、そういう評価がもうすでに入っている。
当たり前だという事実を、心から当たり前だという事実を受け入れることです。
でも、それをとことん感じると、同時に自分というものはとてつもなく偉大で、時空を超えた「神」「仏」そのものだったんだってわかります。
自分がすべての存在と等しいから、自分はすごく当たり前なわけですが、同時にそれはとてつもなく素晴らしいことであると。
それがわかると、二度と同じ人間ではいられないです。
同じ生き方をしようとは思わない。
そんなふうに言うと怖がる人がいますが、変化を恐れることはないです。
それはとても素晴らしい変化ですから。
泥水しか飲んだことがなかった人が、一度でも清水を飲めば、次からは泥水を飲みたいと思わなくなるのと同じですから。
そして、その情報をみんなに伝えたくなるんです。
たとえば、あなたが生まれた地球が、目の見えない人ばっかりが住んでいる星だったとしましょう。
その星に暮らしてる人は全員、目が見えない。
そういう地球に僕たちが生まれたとしましょう。
もちろんあなたも、ある年まで目が見えなかったんです。
そして、それが人生だと信じていました。
他のみんなもそうだったから、他の可能性を考えることもなかった。
ところがある瞬間、神様のいたずらで、あなたの目が一分間だけ開いちゃったわけです。パッて。
ものすごくビックリします、「えっ!」って。
でもいままでどおり空気はあるし、いままでどおり母親も父親もいるし、いままでどおり触ったらあるし、でも現実の姿を初めて見て、花は全部色が違うこともわかった、夕焼けがとてもきれいだ、ああ、なんて素晴らしい世界だったんだ。
こんな色彩にあふれた、こんな感動的な、こんなに美しい―それまでは美しいっていう概念もないですからね、視覚の閉ざされた世界で生きていたから―こんな感動的な美しい色彩にあふれた、こんな素晴らしいところに自分はいたのか、と思ったら、また目が閉じちゃった。
さあ、あなたはもう黙っていられません。
「聞いて聞いて、花って赤いんだよ」
「何だよ、赤って」
「黄色もあるんだよ」
「何だ、黄色って。何でおまえにそれがわかるんだ」
「本当だよ、たしかにそうだったんだよ」
「おまえの幻想だろ、そんなもの」
ある人は「あいつは変なこと言って人を惑わしている」って。
でも真実を見たその人は、この世はいかに美しいか、明らかにそれは人生の中で最高の経験だったわけで、何とかそのことを人に伝えたくて、急いで言葉にして、点字の本まで出しちゃった。
まあそれは、目の見えない人たちも心の底のどこかで知っていたから、その人はだんだん評価されちゃって、あの人はもしかしたらすごいものを見たのかもしれないって言われ出した。
そうすると反対に、絶対そうじゃないって立場をとる人も出てくるわけで、「何だおまえ、何を根拠にそう言うんだ」って命がけでその人に反対する。
こいつの言っていることはおかしいぞ、こいつは自分の幻想を人に押しつけて人を惑わしているぞ、こんなやつは殺してしまえ、ハリツケだ、こんなやつはここから追い出してしまえ。
いろいろなことを言ってくる。そして、そのメッセージがいかに間違ってるかっていう本を百冊書いた。
でも、そうやってその人をどんなに攻撃しようと、反論本を百冊も書いたその人が、偶然たったのコンマ一秒でも、パッと目を開ければ、そこですべて終わります。
もう二度とそんな本を書かないし、二度と反対しない。
で、その人はその人なりに、そのコンマ一秒のことを、人に話しはじめるんです。
話さずにいられない、そういうものなんです。
(本文より)
「悟りとは、当たり前の人間になること」
この言葉にまず私は驚かされました。
「悟り」というのは、特別で、すごくて、素晴らしい、とんでもないものだというイメージだからです。
でも、本当は当たり前であることを受け入れることで、その当たり前こそが本当はものすごいことなんだって気づくことなんですね。
当たり前であることが幸せです。
すべて等しく同じであるから、どちらが上とか下とかもありません。
どちらが間違ってるとか正しいとかもありません。
ただ「違い」があるだけです。それだけです。
同じひとつの手の中の、小指と親指の違いのようなもの、私はそう思います。
どちらも必要で、どちらもも同じくらい大事です。
この世界はそういうものなんだろうなぁと思います。
これが正しい考え方だからじゃなくて、楽しい考え方だから、私は受け入れます。
みんな、自分が一番信じたい世界を信じています。そして、そういう世界を見ています。
あなたと私が見ている世界は違います。
誰一人同じ世界を見ていません。
なぜなら自分で選ぶことができるからです。
チャンネルを選ぶように、自分の見たい世界を選ぶことができます。
テレビがなぜ映るのか、その仕組みを知る人はあまりいないかもしれませんが、テレビに何が映るのか、知っている人はたくさんいます。
世界も同じです。
なぜそうなのかはわかりませんが、世界は確かに私たちの目に映っているのです。
これって、すごくおもしろくて、楽しいことだと思いませんか?
私は思います。そしてわくわくします。
世界って、なんてすごいんだろう!って思います。
世界を確実に見る方法(よりリアルに素晴らしく可憐に!)、それは「いまここ」に生きることです。
これは本当に難しいことだけど、驚くほどシンプルなことです。
いまここで、素晴らしい人生が輝きますように!
この記事へのコメント
Posted by kasumi imamura at 2014年10月10日 20:25
>kasumi imamuraさん
コメントありがとうございます!
本当に「悟る」という言葉の持つイメージを、悟りは越えていくものですね。
限られた特別な人だけが悟ることができるのではなくて、誰でもどんな瞬間でも悟ることはできるのだと思いました。
これからも自分の心に響いた本を紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします!
コメントありがとうございます!
本当に「悟る」という言葉の持つイメージを、悟りは越えていくものですね。
限られた特別な人だけが悟ることができるのではなくて、誰でもどんな瞬間でも悟ることはできるのだと思いました。
これからも自分の心に響いた本を紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします!
Posted by ながしょ at 2014年10月12日 16:16
是非読んでみたい本ですね。
これからも、流行りに惑わされない、地味でも心に響く一冊を紹介して下さい
期待してます