2011年04月02日
ハートの言葉

鏡リュウジ/著 出版社名 : 学研パブリッシング
出版年月 : 2011年3月
ISBNコード : 978-4-05-404880-5
(4-05-404880-3)
税込価格 : 1,260円
頁数・縦 : 165P 18cm
かけがえのない、
この世でひとりの人間になるためには
他の人と違うことを恐れてはいけないの。
シャネル
限界などはない。
あるのはスランプだけ。
乗りこえていけばいい。
ブルース・リー
自分がかぶっている
帽子を探すみたいに、
幸せというものを
探している人が多い。
ニコラウス・レーナウ
こんにちは。スタッフのIです。
今日、ご紹介するのは、「ハートの言葉」という本です。
鏡リュウジさんが選んだハートに響く言葉たちです。
装丁も綺麗で、中に使われている写真も素敵でした^^
いくつかの言葉をご紹介いたします。
最近読んだ小説にこういうことが書いてありました。
奇跡というのは、自然の法則を打ち破るもの。
ということは、私が例えば、落ちてくるものを手で止めたとしたら、私は引力の法則を打ち破ったということ、つまり奇跡を起こしたということ、だと。
このお話を読んで、はっとする思いでした。
私たちは言葉にイメージを必ず持つもので、奇跡についても、こういうことが奇跡だというイメージを持ってしまうものです。
例えば、宙に浮かぶこととか、生き返ることとか、そういうことにあてはまらないものは奇跡でも何でもないと決めつけてしまいます。
例えば、人と出会うということ、そのことも、自分と相手の何かを変えてしまうという点では、大きな奇跡です。
花が咲いていたこと、それを見て心が明るくなったこと、それもその花が起こしてくれた奇跡です。
私たちは奇跡を起こすことができます。
本当は、私たちは奇跡しか起こすことはできません。
生まれてきたことそれ自体が、存在していること自体が、大きな、大きな奇跡だからです。
今、ここから、通りの風景が見えます。
歩いている人、すべてが奇跡だと思って眺めてみます。
よく見ると、建物が建っていること、これも自然の法則を打ち破っているのだから、奇跡です。
電気がついていること、音楽が流れていること、これも奇跡です。
奇跡以外は見ることができません。
奇跡以外は何もないのだと気づくことができます。
今、キーボードをたたいています。
そして、私の言葉が画面を通して誰かに届きます。
それも奇跡です。
ピカソがいうように、お風呂に入ったとき、お湯に溶けてしまわないことだって奇跡です。
奇跡とは、言葉を超えているもの。
だから、奇跡という言葉を使った時点で、それは本当は、奇跡ではなくなっているのです。
だから、人は言葉を使いながらも、言葉ではあらわせないものを感じようと努力します。
心をすませて、ハートをとぎすませて、「それ」を感じたいと願うのです。
「それ」を分かち合えることは心から幸せです。
私たち自身も、「それ」であることを、分かり合うことができるからです。
「それ」、つまり、奇跡以外は何も見えないのは、私たち自身が奇跡だから。
奇跡の目に映るのは、すべて奇跡です。
その奇跡の軌跡を私たちは「道」と呼びます。
この「道」で出会えるすべての奇跡にありがとうございます。
今日も、奇跡をたくさん感じる幸せな一日になりますように。
今日、ご紹介するのは、「ハートの言葉」という本です。
鏡リュウジさんが選んだハートに響く言葉たちです。
装丁も綺麗で、中に使われている写真も素敵でした^^
いくつかの言葉をご紹介いたします。
愛は、愛の連鎖。
ちょうど、自然が命の
つながりであるように。
トルーマン・カーポティ
微笑めば友達ができる。
しかめつらをすればしわが増える。
ジョージ・エリオット
顔をいつも太陽のほうに
向けていて。
影なんて見ていることはないわ。
ヘレン・ケラー
力は、
あなたの弱さのなかから
生まれるのです。
フロイト
すべては奇跡だ。
たとえば、お風呂に入ったとき
あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。
パブロ・ピカソ
想像できることなら、
だれにでも
どんなことでもできる。
H・フォード
天使は、
自分を軽く考えているから
飛べる。
G・チェスタートン
こんな薬を10錠飲むよりも、
心から笑ったほうが
ずっと効果があるはず。
アンネ・フランク
ひとりひとりの人生は、神さまの手が書いた童話。
アンデルセン
真冬のさなかにこそ、
内なる夏に気がつきました。
カミュ
夢見ることができるなら、
どんなことでも実現できる。
ディズニー
最近読んだ小説にこういうことが書いてありました。
奇跡というのは、自然の法則を打ち破るもの。
ということは、私が例えば、落ちてくるものを手で止めたとしたら、私は引力の法則を打ち破ったということ、つまり奇跡を起こしたということ、だと。
このお話を読んで、はっとする思いでした。
私たちは言葉にイメージを必ず持つもので、奇跡についても、こういうことが奇跡だというイメージを持ってしまうものです。
例えば、宙に浮かぶこととか、生き返ることとか、そういうことにあてはまらないものは奇跡でも何でもないと決めつけてしまいます。
例えば、人と出会うということ、そのことも、自分と相手の何かを変えてしまうという点では、大きな奇跡です。
花が咲いていたこと、それを見て心が明るくなったこと、それもその花が起こしてくれた奇跡です。
私たちは奇跡を起こすことができます。
本当は、私たちは奇跡しか起こすことはできません。
生まれてきたことそれ自体が、存在していること自体が、大きな、大きな奇跡だからです。
今、ここから、通りの風景が見えます。
歩いている人、すべてが奇跡だと思って眺めてみます。
よく見ると、建物が建っていること、これも自然の法則を打ち破っているのだから、奇跡です。
電気がついていること、音楽が流れていること、これも奇跡です。
奇跡以外は見ることができません。
奇跡以外は何もないのだと気づくことができます。
今、キーボードをたたいています。
そして、私の言葉が画面を通して誰かに届きます。
それも奇跡です。
ピカソがいうように、お風呂に入ったとき、お湯に溶けてしまわないことだって奇跡です。
奇跡とは、言葉を超えているもの。
だから、奇跡という言葉を使った時点で、それは本当は、奇跡ではなくなっているのです。
だから、人は言葉を使いながらも、言葉ではあらわせないものを感じようと努力します。
心をすませて、ハートをとぎすませて、「それ」を感じたいと願うのです。
「それ」を分かち合えることは心から幸せです。
私たち自身も、「それ」であることを、分かり合うことができるからです。
「それ」、つまり、奇跡以外は何も見えないのは、私たち自身が奇跡だから。
奇跡の目に映るのは、すべて奇跡です。
その奇跡の軌跡を私たちは「道」と呼びます。
この「道」で出会えるすべての奇跡にありがとうございます。
今日も、奇跡をたくさん感じる幸せな一日になりますように。