2010年02月02日
ミュータント・メッセージ

マルロ・モーガン/〔著〕 小沢瑞穂/訳
出版社名 角川書店
出版年月 1999年4月
ISBNコード 978-4-04-279701-2
(4-04-279701-6)
税込価格 560円
頁数・縦 232P 15cm
最後の木の一本が切り倒され、最後の川が汚染され、最後の魚が捕らえられた後、そうなってはじめて金銭は食べられないと気づくだろう。
クーリー・インディアンの予言
こんにちは。スタッフのIです。
今日、ご紹介するのは、「ミュータント・メッセージ」という本です。
一人の白人女性が、ふとしたことから、アボリジニ部族とともに砂漠を歩く旅に出ました。
言葉を介さず通い合う心、手を触れるだけで癒される体―灼熱の大地で体験する目をみはるような出来事の数々。
その中で、ひとつずつ気づかされていく本来の地球と人類の姿。
そして120日間の旅の末に彼女が到達したものとは…。
物質文明にまみれた我々ミュータントへの強烈なメッセージがこめられた、衝撃的な作品です。
この中で部族の人たちは、私たちのことをミュータントと呼んでいます。
ミュータントとは突然変異体という意味ですが、ここでの意味は、肌の色や個人ではなく心と頭の状態をさしています。つまり生きる姿勢のことです。
むかしの記憶や宇宙の真理を忘れたり心を閉ざしている人のことを彼らはミュータントと呼ぶのです。
先日、私は映画の「アバター」を観たのですが、偶然にもちょうど読んでいたこの本の内容にすごくシンクロする部分を感じて、神さまが出会わせてくれる本や映画とのタイミングは本当にすばらしいなぁと感じました。
映画の中では先住民は私たち地球人のことを「スカイピープル」や「ドリームウォーカー」と呼んでいました。
ドリームウォーカーという呼び名は本当にそのとおりだなぁと思いました。
この本の中のアボリジニ部族は私たちを批判するのではなく観察したうえでアドバイスをしてくれます。
批判と観察はまったく違うものです。
そういう意味で彼らの精神性はとても高いものだと感じました。
なかでも私がとても印象的だと感じたシーンは、主人公の白人女性がスポーツについて彼らに説明する場面です。
彼らには勝ち負けという概念がないのです。
誰かが他の誰かより優れているのではなく、みんながそれぞれの特性を持っていて、すばらしく祝福された存在なのだということを頭ではなくて魂のレベルで理解しているのです。
その心は私たちが忘れてしまっていて、今すぐに取り戻さなければいけないものなのだと思います。
誰かが勝って誰かが負ける世界ではなく、みんなで笑い合える助け合いの世界、そういう世界を私たちは創造する力を持っています。
そういう世界が一日でも早く実現することを心から願います。
今日も幸せな一日になりますように。
今日、ご紹介するのは、「ミュータント・メッセージ」という本です。
一人の白人女性が、ふとしたことから、アボリジニ部族とともに砂漠を歩く旅に出ました。
言葉を介さず通い合う心、手を触れるだけで癒される体―灼熱の大地で体験する目をみはるような出来事の数々。
その中で、ひとつずつ気づかされていく本来の地球と人類の姿。
そして120日間の旅の末に彼女が到達したものとは…。
物質文明にまみれた我々ミュータントへの強烈なメッセージがこめられた、衝撃的な作品です。
この中で部族の人たちは、私たちのことをミュータントと呼んでいます。
ミュータントとは突然変異体という意味ですが、ここでの意味は、肌の色や個人ではなく心と頭の状態をさしています。つまり生きる姿勢のことです。
むかしの記憶や宇宙の真理を忘れたり心を閉ざしている人のことを彼らはミュータントと呼ぶのです。
先日、私は映画の「アバター」を観たのですが、偶然にもちょうど読んでいたこの本の内容にすごくシンクロする部分を感じて、神さまが出会わせてくれる本や映画とのタイミングは本当にすばらしいなぁと感じました。
映画の中では先住民は私たち地球人のことを「スカイピープル」や「ドリームウォーカー」と呼んでいました。
ドリームウォーカーという呼び名は本当にそのとおりだなぁと思いました。
この本の中のアボリジニ部族は私たちを批判するのではなく観察したうえでアドバイスをしてくれます。
批判と観察はまったく違うものです。
そういう意味で彼らの精神性はとても高いものだと感じました。
「われわれは宇宙との一体に真っすぐ向かっている。
ミュータントは多くの信仰を持っているね。
おまえの道は私のとはちがう、おまえの救い主は私のとはちがう、おまえの永遠は私のとはちがう。
だが、本当はすべての命はひとつなんだよ。
宇宙の意図はひとつだけだ。
肌の色はたくさんあるが、人類はひとつだ。
ミュータントは神の名前や建物の名前、日付や儀式で言い争う。
神は地上にやってきたのか?その神の説教はどういう意味なのか?
真実は真実だ。
人を傷つけるのは自分を傷つけることだ。
人を助けるのは自分を助けることだ。
みんな同じ血と骨を持っている。
ちがいは心と意図だけだ。
ミュータントは自分のことや人との係わりのことをほんの百年しか考えない。
〈真実の人〉族は永遠に考える。
われわれの祖先、まだ生まれない孫たちも含めて、あらゆる場所のすべての命はひとつのものなんだ」
(本文より)
なかでも私がとても印象的だと感じたシーンは、主人公の白人女性がスポーツについて彼らに説明する場面です。
みんなで一列になって全力で駆けっこしようと提案した。
いちばん速い人が勝つと言ったとき、彼らは黒くて大きな美しい目で私をじっと見つめたあと互いに見つめ合った。
ついにだれかが言った。
「だけど、ひとりが勝ったら残りはみんな負けるんだろう。
それは楽しいのか?ゲームは楽しむためにあるんだよ。
どうしてみんなでそんな競争をするんだろう、それで勝者が本当に強いと思うんだろう?
その習慣はよくわからないよ。
あなたの国ではうまくいくのか?」
彼らには勝ち負けという概念がないのです。
誰かが他の誰かより優れているのではなく、みんながそれぞれの特性を持っていて、すばらしく祝福された存在なのだということを頭ではなくて魂のレベルで理解しているのです。
その心は私たちが忘れてしまっていて、今すぐに取り戻さなければいけないものなのだと思います。
誰かが勝って誰かが負ける世界ではなく、みんなで笑い合える助け合いの世界、そういう世界を私たちは創造する力を持っています。
そういう世界が一日でも早く実現することを心から願います。
今日も幸せな一日になりますように。
この記事へのコメント
Posted by 鷹の目 at 2010年02月03日 19:12
>鷹の目さん
ありがとうございます。
人を優劣で判断せず、ありのままを受け入れたとき、そこには愛しかない・・・本当にそのとおりですね。
こちらこそ素晴らしい気づきをありがとうございます^^
幸せな一日を過ごすことができますように。
ありがとうございます。
人を優劣で判断せず、ありのままを受け入れたとき、そこには愛しかない・・・本当にそのとおりですね。
こちらこそ素晴らしい気づきをありがとうございます^^
幸せな一日を過ごすことができますように。
Posted by ながしょ
at 2010年02月05日 10:22

人を優劣で判断せず、ありのままを受け入れたとき、そこには愛しかないんじゃないかな…と思うのですが。
いつもそうありたいと思いつつ、まだまだ未熟な自分です。
素晴らしい気付きをいつもありがとうございます。