2009年06月06日
セレブレーティング・サイレンス

出版社名 出帆新社
出版年月 2003年5月
ISBNコード 978-4-86103-001-7
(4-86103-001-3)
税込価格 1,890円
頁数・縦 260P 19cm
愛をそのままにしておきなさい。
こんにちは。スタッフのIです。
今日、ご紹介するのは、「セレブレーティング・サイレンス」という本です。
愛をそのままにしておきなさい。
それに名前をつけないようにしなさい。
愛に名前をつけるとそれは関係性となり、関係性は愛を制限してしまいます。
あなたと私との間に愛があります。
それをただそのままにしておけばいいのです。
あなたが愛に兄弟、姉妹、母親、父親、グルなどと名前をつけると、それを関係性にしてしまいます。
愛に関係性をもたせるとそれを制限することになります。
あなたとあなた自身との関係とは何でしょうか?
あなたはあなた自身の妻、兄弟、夫、グルでしょうか?
愛をただそのままにしておくのです。
それに名前をつけないようにしなさい。
信じるとは分裂していないマインド、分裂していない意識の本質です。
もしあなたが分析しようとすると、疑いが生じてきて信じる思いが消えてしまいます。
ですから、信じたいと思うものなら何でも、それについて知ろうとしたり、分析したりしないでください。
分析することは距離を作り出します。
統合はものごとをひとつにします。
信じるということは統合であり、知ることは分析です。
(本文より抜粋)
愛を知ろうとして、頭で分析し、分類し、名前をつけるとき、愛を本当に理解することはできません。
人間の身体をどれだけ細かく分類し、分析し、細胞のひとつひとつまで調べたとしても、人間がどうして生きているのか理解することができないのと同じです。
それは、心で感じ、信じることで、本当に理解することができるのです。
すばらしい朝日や夕焼けを眺めるとき、太陽の色や形や光の角度などを細かく分析しながら感動することはできません。
ただありのままの名前のない風景を、ただありのままの名前のない心で感じるからこそ感動することができます。
愛するときも同じように、愛する理由や意味や役割や義務など考えず、それに名前をつけず、ただ心で感じたらいいのです。
そうすることで、何の制限もないただひとつの大きな愛を感じることができるでしょう。
名前は便利ですが、それに縛られないようにしましょう。
私たちは誰か(名前)であって、同時に誰でもない(名前のない)存在です。
神様に「神様」という名前をつけるとき、その瞬間、神様はとても限定された存在(ある人にとっては白ひげのおじいさん)になってしまうでしょう。
ときには、自分に何の名前もつけず、ただありのままの自分を感じてみてください。
そこに立っているのは、限りなく自由であり、何の制限も限界もない、宇宙のように広がった、大きなひとつの存在です。
科学(頭)は人間を物として見ますが、心(魂)は人間を生命として見ます。
心を大きく開いたとき、岩や大地さえも、物ではなく生命として見ることができるでしょう。
名前のない感情を、名前のない無限のあなたで感じてみてください。
それがきっと、名前のない「愛」です。
今日も幸せな一日になりますように。
今日、ご紹介するのは、「セレブレーティング・サイレンス」という本です。
愛をそのままにしておきなさい。
それに名前をつけないようにしなさい。
愛に名前をつけるとそれは関係性となり、関係性は愛を制限してしまいます。
あなたと私との間に愛があります。
それをただそのままにしておけばいいのです。
あなたが愛に兄弟、姉妹、母親、父親、グルなどと名前をつけると、それを関係性にしてしまいます。
愛に関係性をもたせるとそれを制限することになります。
あなたとあなた自身との関係とは何でしょうか?
あなたはあなた自身の妻、兄弟、夫、グルでしょうか?
愛をただそのままにしておくのです。
それに名前をつけないようにしなさい。
信じるとは分裂していないマインド、分裂していない意識の本質です。
もしあなたが分析しようとすると、疑いが生じてきて信じる思いが消えてしまいます。
ですから、信じたいと思うものなら何でも、それについて知ろうとしたり、分析したりしないでください。
分析することは距離を作り出します。
統合はものごとをひとつにします。
信じるということは統合であり、知ることは分析です。
(本文より抜粋)
愛を知ろうとして、頭で分析し、分類し、名前をつけるとき、愛を本当に理解することはできません。
人間の身体をどれだけ細かく分類し、分析し、細胞のひとつひとつまで調べたとしても、人間がどうして生きているのか理解することができないのと同じです。
それは、心で感じ、信じることで、本当に理解することができるのです。
すばらしい朝日や夕焼けを眺めるとき、太陽の色や形や光の角度などを細かく分析しながら感動することはできません。
ただありのままの名前のない風景を、ただありのままの名前のない心で感じるからこそ感動することができます。
愛するときも同じように、愛する理由や意味や役割や義務など考えず、それに名前をつけず、ただ心で感じたらいいのです。
そうすることで、何の制限もないただひとつの大きな愛を感じることができるでしょう。
名前は便利ですが、それに縛られないようにしましょう。
私たちは誰か(名前)であって、同時に誰でもない(名前のない)存在です。
神様に「神様」という名前をつけるとき、その瞬間、神様はとても限定された存在(ある人にとっては白ひげのおじいさん)になってしまうでしょう。
ときには、自分に何の名前もつけず、ただありのままの自分を感じてみてください。
そこに立っているのは、限りなく自由であり、何の制限も限界もない、宇宙のように広がった、大きなひとつの存在です。
科学(頭)は人間を物として見ますが、心(魂)は人間を生命として見ます。
心を大きく開いたとき、岩や大地さえも、物ではなく生命として見ることができるでしょう。
名前のない感情を、名前のない無限のあなたで感じてみてください。
それがきっと、名前のない「愛」です。
今日も幸せな一日になりますように。
この記事へのコメント
Posted by オープンハート at 2009年06月06日 13:42
>オープンハートさん
ありがとうございます。
自分を名前で呼ぶとき、その名前の者になってしまいますが、名前をつけないとき、名前がつく前のありのままの自分を感じることができます。
どんな感情も、どんな相手も、それが何か名前をつけず、決め付けず、ただありのままに感じてみてくださいね。
ご予約ありがとうございます。
ありがとうございます。
自分を名前で呼ぶとき、その名前の者になってしまいますが、名前をつけないとき、名前がつく前のありのままの自分を感じることができます。
どんな感情も、どんな相手も、それが何か名前をつけず、決め付けず、ただありのままに感じてみてくださいね。
ご予約ありがとうございます。
Posted by ながしょ
at 2009年06月06日 16:26

この本、予約します!
よろしくお願いします♪