2009年01月10日
老師と少年

出版社名 新潮社
出版年月 2006年10月
ISBNコード 978-4-10-302131-5
(4-10-302131-4)
税込価格 998円
頁数・縦 111P 20cm
―師よ、本当のぼくは誰ですか?
「ぼくは死ぬ。でもぼくが死ぬとはどういうことか?このぼくがいなくなる。
今いなくなると考えている、このぼくがいなくなる。
死ぬぼくもいなくなる。なのに死ぬ。死ぬ。
そのとき、風景が急に逆に流れ出しました。
死ぬことを考えているぼくが死ぬ。ああ、ぼくは本当に今生きているといえるのか。
ぼくはどこにいるのだろう。ぼくは今本当にぼくなのか。
ぼくは道ばたにしゃがみこんでしまいました。
死ぬことも、ぼくがぼくであることも、わからなくなってしまったのです。
わからないのです。今もわかりません。
誰かわかったのでしょうか。
わからないのに、なぜ大丈夫なのでしょう。
なぜ当たり前なのでしょう」
「友よ。そのとき君は大人にたずねただろう。
死ぬとはどういうことか。死とは何か。すると大人は答える。
天国に行くの。
遠い世界に行くの。
お空の星になるの。
けれども、友よ。それは君の聞きたいことではないのだ」
「そうです!師よ、そうです!ぼくはどこに行くのか知りたいのではない。
どこに行こうと行くまいと、死ぬとは何か、それが知りたいのです。
ぼくがいなくなる。消えてしまう。それはどういうことなのか。
知りたいのはそれなのに!
師よ、大人はわからないのです!答えが、ではない。
大人は、ぼくの質問が何を意味しているのかわからないのです。
それさえわからないのに、死んだ後のことはわかると言うのです!」
―「老師と少年」より
ある日、入り口にうつむいて立つ少年と、老師との九夜に渡る問答が始まりました。
本当のぼくは誰なのか?
死とは何か?
誰もが子供の頃に悩んで知りたかったことです。
本当の自分とはいったい誰なのでしょう?
普通は、大人になっていくうちに、そういうことは考えなくなっていきます。
答えなんか出ないと思うからです。
だけど必要なのは答えではありません。
そうしたことを真剣に考え続けることだと私は思います。
蒔き続けていた種は、いつか芽を出します。
すぐにではなくて、そのことさえも忘れた頃にです。
そして、ああ、そうだった。それが答えだったと思い出すのです。
そうした瞬間が私はとても好きです。
思い出すというすばらしい瞬間のために、きっと「忘れる」という行為が存在するのだと思います。
だから、忘れるということはとってもすばらしい。
また、思い出すことができるから。
今日も心からありがとうございます。
(ながしょスタッフ・I)
今いなくなると考えている、このぼくがいなくなる。
死ぬぼくもいなくなる。なのに死ぬ。死ぬ。
そのとき、風景が急に逆に流れ出しました。
死ぬことを考えているぼくが死ぬ。ああ、ぼくは本当に今生きているといえるのか。
ぼくはどこにいるのだろう。ぼくは今本当にぼくなのか。
ぼくは道ばたにしゃがみこんでしまいました。
死ぬことも、ぼくがぼくであることも、わからなくなってしまったのです。
わからないのです。今もわかりません。
誰かわかったのでしょうか。
わからないのに、なぜ大丈夫なのでしょう。
なぜ当たり前なのでしょう」
「友よ。そのとき君は大人にたずねただろう。
死ぬとはどういうことか。死とは何か。すると大人は答える。
天国に行くの。
遠い世界に行くの。
お空の星になるの。
けれども、友よ。それは君の聞きたいことではないのだ」
「そうです!師よ、そうです!ぼくはどこに行くのか知りたいのではない。
どこに行こうと行くまいと、死ぬとは何か、それが知りたいのです。
ぼくがいなくなる。消えてしまう。それはどういうことなのか。
知りたいのはそれなのに!
師よ、大人はわからないのです!答えが、ではない。
大人は、ぼくの質問が何を意味しているのかわからないのです。
それさえわからないのに、死んだ後のことはわかると言うのです!」
―「老師と少年」より
ある日、入り口にうつむいて立つ少年と、老師との九夜に渡る問答が始まりました。
本当のぼくは誰なのか?
死とは何か?
誰もが子供の頃に悩んで知りたかったことです。
本当の自分とはいったい誰なのでしょう?
普通は、大人になっていくうちに、そういうことは考えなくなっていきます。
答えなんか出ないと思うからです。
だけど必要なのは答えではありません。
そうしたことを真剣に考え続けることだと私は思います。
蒔き続けていた種は、いつか芽を出します。
すぐにではなくて、そのことさえも忘れた頃にです。
そして、ああ、そうだった。それが答えだったと思い出すのです。
そうした瞬間が私はとても好きです。
思い出すというすばらしい瞬間のために、きっと「忘れる」という行為が存在するのだと思います。
だから、忘れるということはとってもすばらしい。
また、思い出すことができるから。
今日も心からありがとうございます。
(ながしょスタッフ・I)
この記事へのコメント
Posted by COW at 2009年01月10日 17:43
>COWさん
ありがとうございます。
忘れていた大切なことを思い出す瞬間はいつも祝福に包まれています。
人間が生まれるときに、その前のことを全部忘れて生まれてくるのは、いつか思い出すというすばらしい瞬間のためなのかもしれませんね。
答えはいつも自分の中にあるのならば、答えを見つける方法、それは自分の中に潜っていくこと。
それがほんとうの自分にたどり着くことです。
問答や対話できる人は自分により近いもう一人の自分でもあります。
そのような人に出会えるということは、旅が順調に進んできている証拠です。
鏡に映っている世界を見て、そこに映っているまったく汚れのない本当の自分自身を見つけてください。
世界が存在していること、対話できる人が存在していることに心から感謝します。
ありがとうございます^^
ありがとうございます。
忘れていた大切なことを思い出す瞬間はいつも祝福に包まれています。
人間が生まれるときに、その前のことを全部忘れて生まれてくるのは、いつか思い出すというすばらしい瞬間のためなのかもしれませんね。
答えはいつも自分の中にあるのならば、答えを見つける方法、それは自分の中に潜っていくこと。
それがほんとうの自分にたどり着くことです。
問答や対話できる人は自分により近いもう一人の自分でもあります。
そのような人に出会えるということは、旅が順調に進んできている証拠です。
鏡に映っている世界を見て、そこに映っているまったく汚れのない本当の自分自身を見つけてください。
世界が存在していること、対話できる人が存在していることに心から感謝します。
ありがとうございます^^
Posted by ながしょ
at 2009年01月10日 17:58

私も随分いろんな事忘れている気がします。
忘れていることすら忘れているのです。
でもほんとふとした瞬間に思い出す事柄。
その時自分が随分歩いている事に気が付きます。そして嬉しいというか感慨深いです。
そしてそれはひとりではなかなか不可能で、
やはり出会いから、思い出されるなぁ~って気が付きました。
忘れていることすら忘れているのです。
でもほんとふとした瞬間に思い出す事柄。
その時自分が随分歩いている事に気が付きます。そして嬉しいというか感慨深いです。
そしてそれはひとりではなかなか不可能で、
やはり出会いから、思い出されるなぁ~って気が付きました。
Posted by Lee
at 2009年01月10日 19:34

>Leeさん
ありがとうございます。
忘れていることすら忘れている、本当にそうですね。
でもそれでいいのです。忘れないと思い出すこともできませんからね。
振り向いてみたら、随分進んできたことに気がつかれるのではないでしょうか。
進むということと戻るということは同じ。「深く潜るほど高く浮上するような」感覚をいつも忘れないでくださいね^^
この道に立ち止まりはあっても、行き止まりはありません。
だから安心して自分自身にゆだね、感謝し、楽しんでいきましょうね。
人との出会いは、自分との出会い。
あなたは私、私はあなたです。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
忘れていることすら忘れている、本当にそうですね。
でもそれでいいのです。忘れないと思い出すこともできませんからね。
振り向いてみたら、随分進んできたことに気がつかれるのではないでしょうか。
進むということと戻るということは同じ。「深く潜るほど高く浮上するような」感覚をいつも忘れないでくださいね^^
この道に立ち止まりはあっても、行き止まりはありません。
だから安心して自分自身にゆだね、感謝し、楽しんでいきましょうね。
人との出会いは、自分との出会い。
あなたは私、私はあなたです。
いつもありがとうございます。
Posted by ながしょ at 2009年01月10日 22:06
答えは自分の中にあるということを、いつも何かを思い出すたびにしみじみと実感します。
考えても答えが出ないようなことを考え続けることは、ひとりでは結構つらいことです。
老子と少年のように、相手がいて問答できれば、ひとりでは思いつかなかったような考えを知ることができますね。
互いに自分の中にある答えを鏡のように映しあえるのではないかなと思います。
そういう人に出会えて、そういう人が存在していることに心から感謝いたします。
ありがとう。