マクトゥーブ

ながしょ

2012年08月21日 11:10


パウロ・コエーリョ/著 木下眞穂/訳
出版社名 : 角川書店
出版年月 : 2011年2月
ISBNコード : 978-4-04-791640-1
(4-04-791640-4)
税込価格 : 2,100円
頁数・縦 : 195P 20cm






師は言う。
なにか決断を下さねばならないことがあったら、前に進み、そこから生まれた結果を受け入れるほうがよい。
前もってこの結果がどういうものになるのか、知ることはできない。
こんにちは。スタッフの石川です。

今日、ご紹介するのは、「マクトゥーブ」という本です。

「アルケミスト」のパウロ・コエーリョが書いた人生のメッセージです。

ひとつひとつのメッセージはとても短いので、一日ひとつ読むのにも適しているし、まとめていっぺんに読むのもいいと思います。

アントニー・デ・メロの「小鳥の歌」が好きな人はきっと気に入ると思います。

いくつかご紹介します。


師は言う。
多くの人が幸せを恐れる。彼らにとって、幸せが意味するものは、なじんだ一連の習慣を変えること―そして、自分が自分でなくなるということなのだ。
われわれは自分になにかよいことがあっても、自分にはそんな値打ちはないと思いこみがちだ。
われわれは受けつけないのだ―なぜなら、よいことを受けつけると、まるで神に借りがあるような錯覚に陥るからだ。
われわれはこう考える。〈喜びの杯を味わうのはやめておこう。なくなってしまった時にたいそう苦しむことになるだろうから〉
小さくなることを恐れていては、大きくなれない。
泣くことを恐れていては、笑うことができない。


師は言う。
神があなたに与えるあらゆる恵みを生きよ。恵みを惜しむな。
受け取る恵みを、あとから好きなときに使えるようにと預けておける銀行などないのだから。
今の恩恵を享受しないでいると、なくなって取り戻せなくなる。
神は、われわれが人生の芸術家であることをご存じだ。
ある日は彫刻に使う粘土を、ほかの日には筆とキャンバスを、もしくは書くための羽ペンを与えてくださる。
だが、粘土はキャンバスには使えないし、羽ペンを使って彫ることはできない。
日々が奇跡なのだ。恩恵を受け、働き、あなたの今日の小さな芸術作品を作るのだ。
明日になれば、より多くを受け取るだろう。

(本文より)



ロンドンオリンピックの陸上100メートル、200メートルで史上初の2大会連続2連覇をなしとげたジャマイカのウサイン・ボルト選手のことを知らない人はいまや誰もいないでしょう。

でもボルト選手が先天性の病気を抱えていたという事実はあまり知られていないかもしれません。

ボルト選手は先天的な脊柱側湾症で、背骨が大きくS字状に曲がっているそうです。

これはスプリンターにとっては致命的な欠陥です。

普通だったらそこであきらめるかもしれません。
でもボルト選手はあきらめませんでした。

与えられたものを否定するのではなくて、受け入れて、さらに前に進んだ。

致命的な欠陥をカバーするために、ボルト選手がやったことは、体幹の徹底的な強化です。
これは簡単なことではなかったでしょう。ただでさえ、ゆがみにより筋肉に大きな負荷がかかっているのに、なおも徹底的に鍛えるのです。
筋肉の鎧をまとうことで、背骨のゆがみをカバーし、なおも強みに変えていったのです。

ゆがんでることにより、ボルト選手は、片方の足の蹴り出す力が、はんぱなく強いそうです。

走ってる途中の右足と左足の歩幅の違いが20センチもあるというのは驚きです。

あの後半の爆発的な加速は、そういうところから生まれているのかもしれないですね。

「師は言う。
神があなたに与えるあらゆる恵みを生きよ。恵みを惜しむな。」

恵みがどういう形で与えられているのか、私たちにはわかりません。

病気という形であれば、普通は否定したくなると思います。

でもボルト選手はそれを恵みとして受け止め、世界一の男となった。

私たちがみることができるのは、表舞台の輝かしい部分だけで、本当はどんな選手にも苦しみに耐えて乗り越えてきた時間があるのだと思います。

たったいま、目の前に差し出されたものを恵みとして受け止めることができるだろうか?
それがどんなものであっても。

世界一になる人というのは、世界一の精神力をもった人でもあると、あらためて感じました。


「小さくなることを恐れていては、大きくなれない。
泣くことを恐れていては、笑うことができない。」


今日も幸せな一日になりますように。


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