2011年09月24日 11:10
この世は、すべて「微差が大差」
この世はどういう道理でできているかと言うと、微差が大差。
微差が大差を生むのです。
オリンピックでも、金メダルと銀メダル、世界記録と、もうちょっとで世界記録というのとでは、世間の注目度からいったらエライ違いですよね。
だけど、能力的なことでいったら、0.1秒とか、微差の世界です。
山だって、「富士山は日本一だ」ということは知っているけれど、二番目に高い山はどこですかって、ほとんど知らない。三番だと、もっと知らない。
二番と一番とでは、知名度が全然違うんです。富士山の知名度はスゴイ、二番目に比べて100倍、もしかすると1000倍かもしれないぐらい、富士山の知名度ってスゴイんです。
でも、じゃあ、二番目と比べて、富士山は1000倍高いんですか?って、そんなことはないんですよね。
微差なんですよ。微差なのに、知名度は大差なのです。
それと同じように、人生って、何でも、ちょっとした微差で大差なのです。
たとえば、これは冗談なんですけど、「競馬」と、「乗馬」って、一字しか違わないですよね。
ところが、「自分は競馬が趣味です」と言うと、女性にモテないんですよ。だから、馬を趣味にするなら、競馬じゃなくて、乗馬にして(笑)。
だから、もう、ほんのちょっと、ちょっとの微差なんですよ。
微差と言っても、嫌なものの微差はダメですよ。いいほうの微差ですよ。
いいほうの微差が大差を生むのです。
(本文より)
「アマテラス」として生きる。
これが、私の人生のテーマです。
「自分が神さまだ」と言っているのではありません。
「アマテラス」として生きる。それは、あまねく人を照らすことです。
自分がいつも明るく生きて、周りを照らすのです。
だから、私もお弟子さんたちにも、
「あなた、そのままでいいよ」
と言ってきました。
「そのままでいいよ」とは、人の個性を否定しない、ということです。
神が求めるものは、みんな等しくしあわせ、なのです。
「サラリーマンは、サラリーマンとして、しあわせになりなさい」
「社長は、社長として、しあわせになりなさい」
そう言っているのです。
神は、ピーマンはピーマンのままで、しあわせになって欲しいんです。
トウガラシはトウガラシのまま、しあわせになって欲しいのです。
だから、私は、お弟子さんたちの個性をいじりませんでした。
お弟子さんたち、全員、個性が違うんです。そのなかで、一人ひとり、しあわせになる。
これが私の基本路線で、私の教えです。
(本文より)