2010年05月29日 11:10
私たちが一番高くまで飛ばせる凧、それは想像力です。
ローレン・バコール
人間は、ひょんなときに思いがけない発見をすることがあります。
私は数週間前に、そんなひとときをもちました。
私が寝室のベッドの上で、赤ちゃんのおむつを替えていると、五歳のアリッサがやってきて、ベッドに飛び乗りこう尋ねました。
「ママ、大きくなったら、何になりたい?」
私は、娘が新しい遊びでも考え出したのかもしれないと思い、調子を合わせて答えました。
「うーん、そうね。大きくなったら、お母さんになりたいかな…」
「ダメよ、もうお母さんになってるじゃない。ねえ、何になりたい?」
つぎに、私はこう答えました。
「わかったわ。それじゃ、大きくなったら、牧師さんになりたい」
「だってママ、もうなってるでしょう!」
「あら、ごめんなさい。じゃあ、どう答えたらいいのかしら」と私は言いました。
「ママ、大きくなったら、何になりたいか、思ったままを言えばいいの。何でも好きなものになれるのよ!」
私は、とっさにどう言ったらいいかわかりませんでした。
アリッサは、私から答えを引き出すのをあきらめ、部屋を出て行ってしまいました。
しかし、このわずか数分のできごとに、私は心を揺さぶられていました。
幼い娘の目には、私はいまでも私のなりたいものになれる人と映っていたのです!
年齢も、牧師という職業も、夫と五人の子どもも、学士号や修士号も、何ひとつ関係ありません。
彼女にとって、私はいまだ夢を描き、高い理想をかかげることのできる人間でした。
私の将来はまだ終わっていないのです。
私は宇宙飛行士にも、ピアニストにも、オペラ歌手にもなれるのです。
彼女には、私がいまだ可能性に向かって成長しつつあり、私の行く手には輝く未来が待ち受けていると見えているにちがいありません。
娘は、誠実かつ純真そのものに、まったく同じ質問を、おじいちゃんやおばあちゃんにも、いえ、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんにだってするでしょう。
こう気づいたとき、娘と共有したこのひとときが美しくきらめいて見えたのでした。
ある本に、こんな一節がありました。
「歳をとったとき、私は、いまの私とはまったくちがった人になっていることだろう。いま、もう一人の私が生まれようとしているから…」
さあ、あなたも考えてみてください。
大きくなったら、何になりたいですか?
テリー・ジョンソン牧師