すべてを味方すべてが味方

ながしょ

2010年05月08日 11:10

小林正観/著

出版社名 三笠書房
出版年月 2009年3月
ISBNコード 978-4-8379-2309-1
(4-8379-2309-7)
税込価格 1,500円
頁数・縦 202P 19cm







幸福の海にどっぷりつかること

こんにちは。スタッフのIです。

今日、ご紹介するのは、「すべてを味方すべてが味方」という本です。

この中で、幸せについて、とてもわかりやすく書いてある部分があったのでご紹介します。


今、私たちは、幸せの本体、“幸せの海”の中でひたすら生きているだけです。
海の中に棲む魚は、海の本体がどんなものかわからない。

だから、海というものを見たいといつも思っています。
この魚がそう希望していると、神さまというのは限りない優しさをもっていますから、魚の望みを叶えるために海を見せてあげようとします。
つまり、人間に釣り上げられるのです。

釣り上げられた魚は海を見下ろして「あー、海ってこういうものなのか。海は広くて大きくて、水平線があって、白い雲があってヨットが浮かんでいて素敵なものだなー」と思います。
たしかに、“海を見たい”という望みは叶いましたが、海から出ているので呼吸ができなくて苦しい。

結局、釣り上げられている状態というのは、海は見えるけれども、同時に苦しい、つらい目にあっていることになります。
これを言い換えると、“災難”といいます。

魚がで、釣り上げた人を“神”あるいは“仏”と置き換えます。
海は“幸せ”そのものです。


確かに、海の中にいたら、海がどういうものかわかりませんよね。

私たちも空気の中にいるので、空気がどういうものかわかりません。

空気がない場所に行って初めて、空気があることがどれだけすばらしいのかがわかります。


先日、あるお笑い芸人さんがテレビでこんなことを言っていました。

「幸せの反対は何だと思いますか?
幸せの反対はね、幸せなんです。
だって幸という字を反対にしても同じ幸ですよね。
上から見ても下から見ても幸せ。
ただ本人が幸せに気づいてないだけなんですね」

本当にそのとおりかもしれません。

きっとどちらから見ても幸せ。
私たちが幸せの定義を自分たちで決めて、それに合わないものを、すべて「不幸せ」と呼んでいるだけなのかもしれません。


幸せの海のなかで出会うすべての魚たちに光がいつもありますように。





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