神との対話 365日の言葉

ながしょ

2010年04月27日 11:10

サンマーク文庫 E-38
ニール・ドナルド・ウォルシュ/著 吉田利子/訳


出版社名 サンマーク出版
出版年月 2006年6月
ISBNコード 978-4-7631-8422-1
(4-7631-8422-9)
税込価格 660円
頁数・縦 396P 15cm





真の秩序のなかでは、
幸せになるために何かをするのではない。
幸せだから、何かをする。

こんにちは。スタッフのIです。

今日、ご紹介するのは、「神との対話 365日の言葉」という本です。

一日1ページずつ読まれてもいいし、インスピレーションと共にパッと開いてみるのもいいでしょう。

今、パッと開いてみて、そのページに書いてあったことをご紹介したいと思います。


苦しみは出来事とは何の関係もない。
出来事に対する
反応のなかにあるだけだ。


問題は、なぜそんな道へ歩み出すのかではない。
すでに踏み出しているのだから。
生まれた瞬間から、
この道を歩いているのだから。
問題は、この道を意識的に歩くのか、
無意識のまま歩くのかということだ。



すべてのメッセージは、届けられるかどうかではなくて、受け取ることができるかどうか、だと私は思います。

誰かが私にとてもおいしい紅茶を注いでくれようとしても、私のコップがすでに他の飲み物でいっぱいであったなら、そこには何も注ぐことができないからです。


「苦しみは出来事とは何の関係もなく、出来事に対する反応のなかにある」

先日、テレビを見ていたら、お笑い芸人の人たちがお店のメニューを全部食べるという挑戦をやっていました。

出てくる料理はとてもおいしそうですが、お腹いっぱいの状態でその料理を食べる人の表情はとても苦痛に満ちていました。


「おいしい料理を食べる」という出来事が「幸せ」であるなら、どんな状態であっても幸せを感じるはずです。

だけど、このお笑い芸人の方はとても「苦しそう」でした。


ということは、「おいしい料理を食べること」(出来事)が幸せというのではなく、「どんな心の状態で食べるか」(反応)が、幸せを決めるということです。

とてもお腹が減って空腹のときに食べるたった一個のおむすびがどれだけおいしいか、とても喉がかわいて死にそうなときに飲むたった一杯の水がどれだけおいしいか、みなさんにもご経験があると思います。

そうですね、幸せや喜びとは、受け取る心があるときに、はじめて心の中で感じることができるということですね。


幸せという「出来事」が自分の外にあるかどうかではなく、
幸せを感じる「心の状態」が自分の中にあるかということ。


今、可愛い犬が目の前にいるとしますよね。

犬が「可愛い」のでしょうか?

それとも犬を「可愛い」と感じる「私の心」があるのでしょうか?

犬が可愛いのであれば、どんな人が見ても可愛いと感じるでしょう。
でも、犬が好きではない人から見たら、その犬はきっと「可愛い」とは思えないはずです。
むしろ「怖い」と感じるかもしれません。

幸せを感じる心も同じです。

そこに幸せがあるのは、「幸せな出来事」があるからではなく、「幸せを感じる私の心」があるから、ということなんですね。


あなたが犬を可愛いと思うのは、犬を可愛いと感じる心をあなたが持っているから。

あなたが夕陽を美しいと思うのは、夕陽を美しいと感じる心をあなたが持っているから。

それはとても素敵なことです。

とてもすばらしいことです。

何かを感じることができる心を持っていることがすばらしいことです。


心をもって生まれてきてくれてありがとう。




今日も幸せな一日になりますように。




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