メルヒェン

ながしょ

2009年12月12日 11:10

改版
新潮文庫
ヘッセ/〔著〕 高橋健二/訳


出版社名 新潮社
出版年月 1990年
ISBNコード 978-4-10-200117-2
(4-10-200117-4)
税込価格 380円
頁数・縦 199P 16cm





地上の現象はすべて一つの比喩である。
すべての比喩は、魂が、用意できてさえいれば、そこを通って世界の内部へ入ることのできる開いた門である。

その内部へ行けば、君もぼくも昼も夜も、すべて一体なのである。
どんな人でも、一生のうちに、ここかしこでその開かれた門に行きあたる。

どんな人でも、いつかは、目に見えるものはすべて一つの比喩であり、この比喩の奥に精神と永遠の生命が宿っている、という考えを起こす。
もちろん、この門を通って行き、奥深いものを現実にほのかに感じて、美しい仮象を放棄する人は、少数である。
こんにちは。スタッフのIです。

今日、ご紹介するのは、ヘルマン・ヘッセの「メルヒェン」という短編集です。

ヘルマン・ヘッセの本の中では私は「シッダールタ」がいちばん大好きなんですが、この「メルヒェン」の中にも、「シッダールタ」を読んだときのような真理の輝きが含まれていて、とってもすばらしいなぁと思いました。

冒頭で紹介した文章はその中の「アヤメ」という物語の一節です。

子どものときの不思議な感覚というか感性を大人になっても覚えていますか?

ほとんどの人は大人になっていくうちに忘れていくか、ときどき思い出しても、また日常の中に戻っていく人がほとんどでしょう。

ヘッセは「アヤメ」の中で、このことをこんなふうに表現しています。

多くの子どもは、初めて文字を習い覚えないうちに、もうそういうことをすっかり卒業してしまって、まるで全然経験しなかったようになっている。

だが、幼年時代のその秘密を長いあいだ身ぢかに保っていて、その名残りと余韻を、白髪になり、からだの衰える晩年にいたるまで、持ち続けるものもある。

どの子どもでも、まだその秘密の中にいる間は、心の中で絶えず、唯一の重大なこと、すなわち自分自身のことと、自己と周囲の世界との不思議な関係とを考えているのである。

探求者や賢者は、円熟の年齢とともにこの考察にもどってくるが、大多数のものは、真に重要なものに関係するこの内面の世界を、すでに早く永久に忘れ、離れ、終生、心労と願望と目的との目まぐるしい迷路をさまよいまわる。

しかし、そういうもののどれ一つとして、彼らの内心に宿ってはおらず、彼らの内心へ、彼らの家へ彼らを連れもどすことはけっしてない。


大人になってもこどものような笑顔を持っている人は、きっとこのような自分自身について、周囲と世界についての不思議な関係のことを心の中で保っている人なのでしょう。

私の友人の言葉にこんな言葉があります。

「こどもは最初から開かれているが、大人は閉じられたものをみずから開くのだ」

なるほどと思いました。ずっとこどものままでいることはすばらしいかもしれないが、大人になったあとにこどもの心を取り戻すことはもっとすばらしい。

閉じられたものをみずから開くことができるのだから。



今日も幸せな一日になりますように。





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