2009年12月12日 11:10
地上の現象はすべて一つの比喩である。
すべての比喩は、魂が、用意できてさえいれば、そこを通って世界の内部へ入ることのできる開いた門である。
その内部へ行けば、君もぼくも昼も夜も、すべて一体なのである。
どんな人でも、一生のうちに、ここかしこでその開かれた門に行きあたる。
どんな人でも、いつかは、目に見えるものはすべて一つの比喩であり、この比喩の奥に精神と永遠の生命が宿っている、という考えを起こす。
もちろん、この門を通って行き、奥深いものを現実にほのかに感じて、美しい仮象を放棄する人は、少数である。
多くの子どもは、初めて文字を習い覚えないうちに、もうそういうことをすっかり卒業してしまって、まるで全然経験しなかったようになっている。
だが、幼年時代のその秘密を長いあいだ身ぢかに保っていて、その名残りと余韻を、白髪になり、からだの衰える晩年にいたるまで、持ち続けるものもある。
どの子どもでも、まだその秘密の中にいる間は、心の中で絶えず、唯一の重大なこと、すなわち自分自身のことと、自己と周囲の世界との不思議な関係とを考えているのである。
探求者や賢者は、円熟の年齢とともにこの考察にもどってくるが、大多数のものは、真に重要なものに関係するこの内面の世界を、すでに早く永久に忘れ、離れ、終生、心労と願望と目的との目まぐるしい迷路をさまよいまわる。
しかし、そういうもののどれ一つとして、彼らの内心に宿ってはおらず、彼らの内心へ、彼らの家へ彼らを連れもどすことはけっしてない。