こんにちは。スタッフのIです。
今日、ご紹介するのは、「ニュー・アース」という本です。
「ニュー・アース」とは文字通り「新しい地球」。新しい地球は、もうすぐそこまで来ています。
ところで、良い知らせがある。
幻は幻と認識すれば消える、ということだ。
幻の認識はまた幻の終わりでもある。
あなたがそれを現実と誤解しているあいだだけ、幻は存続する。
自分が何者でないかを見きわめるなかから、自ずと自分は何者かという現実が立ち現れる。
あなたが思っているあなたが、実は本当のあなたではないとわかったとき、本当のあなたが誰なのかがわかりはじめます。
つまり、あなたを本当に知るために、あなたではないものを最初に見つけるのです。
夢を見ているときは、眠っている本人はそれが夢だとはわからないでしょう。
夢から覚めたとき(夢ではないものを見たとき)、それが夢だったとわかるのです。
この世界のすべてはそんなふうにできています。
健康が何かを知るために、健康ではない状態(病気)があり、本当の幸せを知るために、幸せではない状態(不満)があります。
そしてそのすべては、「本当の自分を知るため」につながっているのです。
思考はうまくいけば真理を指し示すが、決して真理そのものではない。
だから仏教では「月をさす指は月ではない」と言う。
「真理」はあなた自身と切り離せない。
そう、あなたが「真理」なのだ。
よそに真理を探していたら、きっとだまされ続ける。
あなたという「存在」、それが「真理」だ。
イエスはこのことを、「私が道であり、真理であり、生命です」という言葉で伝えようとした。
イエスのこの言葉は最も力強く、最も直接的に「真理」を示した。
ただし正確に理解されればであって、誤解されるととんでもない障害になる。
イエスの言葉は最も内なる「私という存在」、すべての男女、それどころかすべての生きとし生けるもののアイデンティティの核心を意味している。
真理を「本当の自分」に置き換えてみましょう。
思考で本当の自分について考えることはできますが、その「考えていること」は本当の自分ではありません。
その「考えていること」を見つめている自分が本当の自分です。
光に照らされているものが光なのではなく、それを照らしているものが光です。
光に反射したものを私たちは見ることができますが、光そのものは見えません。
だから反射したもの(照らされたもの)が本当の自分だと思ってしまうのです。
しかしそれは、私という存在(本当の自分)を知るためにこそあるものです。
光が何にも反射せずに、ただ存在したとしたら、それが光かどうかもわからないからです。
自分の光に気づいていってください。
世界がどんなふうに見えようとも、源である光は決して消えません。
赤いものを照らせば世界は赤く見え、黒いものを照らせば世界は黒く見えるでしょう。
それは自分自身が赤いということでも、黒いということでもありません。
本当の自分はいつも純粋な白であり、だからこそたくさんの色を感じることができるのです。
この色とりどりの世界で迷子にならずに、輝く色をたどって本当の自分自身にたどりつくことができますように。