「そ・わ・か」の法則

ながしょ

2009年04月18日 11:10

小林正観/著

出版社名 サンマーク出版
出版年月 2007年5月
ISBNコード 978-4-7631-9747-4
(4-7631-9747-9)
税込価格 1,575円
頁数・縦 205P 19cm






どうすれば幸せが手に入るのか―。

“私”がこの瞬間に

“幸せ”と思えばいいのです。





こんにちは。スタッフのIです。

今日、ご紹介するのは、「そ・わ・か」の法則という本です。

仏教の経典の一つに般若心経があります。

その最後の部分は、「菩提薩婆訶(ぼじそわか)」です。
この薩婆訶(そわか)とは「事が成る」「事が成就せり」という意味です。

著者の小林生観さんは、「神が人間の為す行為の中で好きなものはどんなものか」と調べていたところ、この「そ・わ・か」に行き着いたそうです。

その「そ・わ・か」とは、「掃除」の「そ」、「笑い」の「わ」、「感謝」の「か」です。


「掃除」とは、いつもきれいでいること。

立ち振る舞い、心の美しさ、身のまわりをきれいにすることなどです。
(とくにトイレ掃除が効果的だそうです。)


「笑い」とは、肯定すること、受け入れること、共鳴、共感することです。

何かを見て笑うということはそれを「受け入れた」ということです。
嫌いな人が何かおもしろいことをしても笑えませんよね。
それはその人を受け入れていないということです。

笑える人は肯定的な人、受け入れられる人、明るい人です。


「感謝」とは「ありがとう」といつも感謝できること。

ありがとうの語源は「有り難し」です。
人の力ではできないこと、成就しにくいことが成されたとき、「あり得ないこと」(が起きた)というので、「有り難し」と昔の人は言っていました。
もともとは、神に対してのみ使われてきた言葉です。

この神に対する言葉を人に対して使うこと、これがどれだけパワーのあることかわかりますね。

(この本の中に「ありがとう」を二万五千回言うとあらゆる奇跡が起きるというお話も載っています。)


「ありがとう」の本質というのは「あるがままを全部認めること、受け入れる」こと。

こっちのほうに来てくれたら「ありがとう」だけど、違う方向に行ったら「ありがとうではない」、というのでは、相手を「愛している」ことにはならないでしょう。

その人がもっている性質を全部まるごと認めて、“私”が「ありがとう」と言えるようになるかどうか。

自分にとって気に入らない人がいるとしましょう。
そのときに、私たちは「思いどおりの人」にしようとします。
そうすると苦しい。

そうではなくて、「そうなってくれてもいいし、そうならなくてもいい。ただ、目の前のあなたを受け入れる」と、すべてを受け入れる気持ちになったら、相手の状況によって一喜一憂することがありません。

そうなれば、何より自分自身がラクになるのです。

受け入れればいい。
受け入れるのには、三秒しかいりません。

過去のすべてを受け入れる、一秒。

現在のすべてを受け入れる、二秒。

未来のすべてを受け入れる、三秒。

目の前の現象を受け入れなかったから、つらかったのです。

相手をどう変えるかではなく、ただ、この人を受け入れればいい。

そういう“私”になるための、魔法の言葉として、「ありがとう」の言葉を使ってみる。

「ありがとう」と言える、それだけでうれしい自分に出会えるかもしれません。

(本文より)



「ありがとう」は、「受け入れること」。

とっても素敵だと思いませんか?

本当に魔法の言葉ですよね。


「私はあなたを受け入れます。」

そう思いながら、ありがとうの言葉を使うとき、受け入れられた人はきっとものすごく嬉しいはずです。

その人の方こそ、「私のことを受け入れてくれてありがとう」と、たくさん感謝の気持ちが湧き起こるでしょう。


ありがとうは、ありがとうを呼び、増え、循環し、広がってゆくのですね。

何かをしてもらったとき、「すみません」と言う人がいますが、今日からはその言葉を「ありがとう」に変えてみませんか?


魔法の言葉で、世界中に魔法をかけてしまいましょう。



今日も幸せな一日になりますように。



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