ゆだねるということ

ながしょ

2009年04月11日 11:10

サンマーク文庫 E-43
ディーパック・チョプラ/著 住友進/訳

出版社名 サンマーク出版
出版年月 2007年10月
ISBNコード 978-4-7631-8448-1
(4-7631-8448-2)
税込価格 530円
頁数・縦 187P 15cm








奇跡は毎日起こっています。



こんにちは。スタッフのIです。

今日、ご紹介するのは「ゆだねるということ」です。


「ゆだねる」とはどういうことでしょうか?

なすがままでいるとか、流されるといったイメージでしょうか?

ゆだねるとは、なげやりになることでも、諦めることでもありません。


ほんとうの自分に、自分自身(怖れや不安を感じている自分)を、「明け渡す」というイメージです。

この「明け渡し」の作業をやっていくとき、偶然の一致などの「奇跡」が起こってくるのを感じると思います。


正確に言うと、奇跡は今までもずっと起こっていて、それにあらためて気づきはじめるという感じです。


奇跡は日常生活に現れる流れ星のようなものです。
めったに見ることはできず、見つけると、何か不思議なものに出会ったような気がしてきます。

しかし、流れ星はいつも空を横切っています。

日中は日差しがまぶしくて気づかないだけですし、雲ひとつない暗い夜も、たまたま見上げた場所が星の通り道とは違っているから、見つからないにすぎません。

流れ星と同じように、奇跡もわたしたちの意識を毎日のように横切っています。

自分の運命がこれからどうなるのかわからなくても、奇跡に気づくか無視するのかの、どちらかを選ぶことはできます。

(本文より)



流れ星がどんなにたくさん流れていたとしても、私たちが空を見上げることをしなかったら、それを見ることはできません。

奇跡とはめったにありえないようなことではなくて、本当は絶えず起こっていて(すべてが奇跡であるがゆえに)、めったに私たちが気づくことのできないものです。

いま、私たちを取り巻いているすばらしい奇跡に、気づくことができますか?


驚くべき偶然の一致が立て続けに起こらなければ、この世の中には何も存在していなかったでしょう。

宇宙を誕生させたビッグバンの瞬間、粒子は反粒子よりほんのわずかに多くつくられました。
粒子と反粒子が衝突し、互いに消滅することで、宇宙には光子が充満しました。

しかし、数にほんの少しの違いがあったために、粒子がわずかに残り、その粒子からこの物質世界がつくられました。

あなたやわたし、星や銀河を含むこの宇宙は、誕生の瞬間に残った粒子のカスからできているのです。

残された粒子の合計は10の80乗(1の後ろにゼロが80個続く数字です!)でした。

粒子がこの数よりほんの少しでも多ければ、重力のために生まれたばかりの宇宙は崩壊し、あなたも、星も、銀河も何もないブラックホールになっていたでしょう。

(本文より抜粋)



地球が誕生したことや人類が進化したことにも、ありえないような偶然がびっくりするような確率で重なり合って起こっています。

私たちの日常でもこの偶然の一致(シンクロニシティ)は起こっていて、私たちの人生を絶えず創造しています。


わたしが、いま、ここにいるということ。

これがどれだけの奇跡かを考えたら、ただ、存在していることに、大きな感謝と感動の気持ちがわいてきます。


奇跡は起こるかどうかではなく、気づくかどうか。


奇跡はいつも起こってます。


私たち自身がいつも奇跡であり、その光に包まれた輝く道の軌跡なのだから。




今日も幸せな一日になりますように。


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