癒す心、治る力
角川文庫ソフィア
アンドルー・ワイル/〔著〕 上野圭一/訳
出版社名 角川書店
出版年月 1998年7月
ISBNコード 978-4-04-277701-4
(4-04-277701-5)
税込価格 840円
頁数・縦 463P 15cm
やわらかく、方円にしたがう水が、固い岩をもうがつように、
いのちにしたがってたわむものは難問をも解決する。
「意志があるところに道(タオ)がある」といわれる、
だが、いのちを熟するにまかせ、熟したら枯れるにまかせよ。
意志は道(タオ)とはまったくちがう。
いのちの道(タオ)を拒絶するものは死んだものである。
―老子のことばより
人はなぜ病気になるのか?
本書はこの疑問に真正面から真摯に取り組んでいます。
心と身体はつながっていると言われるように、病気とはその人の心が目に見えるかたちで表れたものだととらえます。
病気になるひとつの理由は、「アンバランスを引き起こしている力または情況が、バランスを回復しようとする治癒系の能力の限度をこえている場合があるから」と考えます。
ではどうしてそのようなことが起きるのか?
どうしたらそれを治すことができるのか?
「ヒーリング」(治癒)の文字どおりの意味は「ひとつの全体になること」です。
ばらばらになってしまうことが病気だとすれば、ひとつの全体になることが治癒です。
「こいつと戦いますよ!」
病気にかかった人はこのような決意表明をよくします。
もちろん完全にあきらめて屈服するよりは、前向きな意志ですが、これは本当は戦いではありません。
「生命をおびやかす病気にかかった患者たちのこうした決意表明を、なんど耳にしてきたことか。
それを表明する彼らを支えているのは、世間知と社会の規範である。
われわれは病気と向かい合うとき、戦争の記号体系とイメージを使うことにあまりにも慣れすぎているのだ。」
病気とは戦いではなく、自分との対話です。
アンバランスな部分が目に見えるかたちであらわれることで、はじめて向かい合うことができるのです。
『何年もかけて、治癒を経験した多くの男女に面接してきたわたしは、「こいつと戦う」という態度が、望ましい結果を得るための最良の道ではないと考えるようになった。
治癒系の活性と正確に相互関係をもつ心理状態というものがあるわけではないが、面接した多くの男女に共通していたのは、病気と戦うよりむしろ病気を受け入れるという姿勢であった。
病気の受容は、じつは自己の受容という、より大きな受容の一部であることが多い。
自己の受容は重要なこころの転換のあらわれであり、パーソナリティの変容がはじまり、それによって病気の治癒がはじまる転換のあらわれなのである。』
自分を受け入れることが、「ひとつの全体になる」ことの一歩です。
極限まで後ろに引き伸ばされたゴムは、同じ力で前に激しく飛んでいきます。
ばらばらになるとは、ひとつになるためのプロセスの一部です。
病気になることは、引き伸ばされたゴムが戻ろうとするときに起こる、大きな揺さぶりだと私は思います。
戦いではなく、ひとつになるための「チャンス」です。
水は、どんな形ににも適応できる「やわらかさ」を持っていますが、同時に、固い岩に穴を開けるほどの「強さ」を持っています。
「やわらかさ」と「強さ」とは別のものではありません。
やわらかいからこそ、強いのです。
身体の固さや、感情の激しい怒りは、強さのあらわれではなく、実は怖れのあらわれです。
怖れているからこそ、何かから自分を守るために固く閉じこもってしまうのです。
開かれたものは、やわらかく広がるが、閉じられたものは、固く縮まる。
固く閉じこもるのではなく、やわらかく開いて広がっていきましょう。
東洋医学やホメオパシーの考え方が私は好きです。
そこでは身体を、ばらばらの一部ではなく、ひとつの全体としてとらえます。
癒しとは、ひとつの全体になること。
ばらばらの一部ではなく、ひとつの全体になっていきましょう。
(スタッフI)
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