夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった

ながしょ

2008年10月25日 00:00

長崎書店の文芸書コーナーをみていたある日のこと。
やけに気になるタイトルの一冊の本を見つけた。


夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった
著者 谷川俊太郎
出版社 青土社
ISBN 978-4-7917-5086-1
税込価格 1050円
このタイトルをみたときに、よしもとばななの著書「アムリタ」のとある一文を思い出した。

一人でいる夜中の台所は思考が永遠に立ち止まる地域だ。そこに長居をしてはいけない。母を、妻を、娘を、閉じ込めてはならない。殺意も、すばらしいボルシチも、キッチンドランカーもそこから産まれる。家を司る大いなる場所で。
吉本ばなな著 福武書店
「アムリタ 上」P58より引用

非常に印象的な部分で、非常にすんなりと納得した文章でもある。

だからなのか、このタイトルに惹かれたのは。
話しかけたかった=話しかけられなかった、ということなのか?
ぼくときみの間にはもう埋めようのないスキマが空いてしまっているので?
ぼくがきみを夜中の台所に閉じ込めてしまったので?
ぼくはきみに何かしらの罪悪感を感じているので?
タイトルを見てこんなに色々思い巡らせることが出来るのもなかなかないことだと思い、すぐに購入。

詩を読むときは、思考が止まる。
ただ、詩を読み、感じ、余韻を味わい、情景を脳内スクリーンに映し出す。
まるで短編映画を観ているような気分になる。
それで、ああ、好きだなぁ、とか、よくわからないや、とか判断してみる。

谷川氏に関しての知識といえば、小学校の頃教科書に詩が載っていたなぁくらいのもので、詩を解説できるような知識はあいにく持ち合わせていません。
ただ、そこには、小学校の頃音読した時に浮かべたイメージとはかけ離れた大人の谷川俊太郎氏がいました。
詩人である前に一人の人間である谷川俊太郎が、30年以上も前の5月のある夜に想いを連ねたのではないでしょうか。
夜中に誰かへ宛てて書いた手紙を朝読んでいたたまれなくなるような、そんな気持ちになるのは、私があまりに氏のことを知らないからでしょう。
谷川俊太郎をあまり知らない、けれど詩は読む、というような方にはぜひ読んでいただきたい一冊です。
私が感じた気持ちを同じように味わい、そして谷川俊太郎氏をちょっぴり好きになっていただきたいです。
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