知られざる創造の源泉と90年の豊饒

ながしょ

2017年04月02日 11:18


水俣病にとらわれすぎると石牟礼道子の正体を見誤るということである。…常に水俣病に収斂する読み方をしていれば、石牟礼文学の豊かな可能性の芽を摘むことになりかねない。ではどんな読み方ができるのか。たとえば、普通に生きることが出来ない人に石牟礼文学は向いている。(序章より)
先日、石牟礼道子さんの卒寿記念のイベント開催をお知らせしましたが(→お知らせはこちら)、その石牟礼道子さんの本格的な評伝が出版されました。石牟礼さんの生い立ちを辿りながら、石牟礼文学の持つ豊かさや独特さがどこから立ちあがってきているのか、その本質に迫ります。

作家の町田康さんは、先日東京で行われたシンポジウムで「なぜ石牟礼さんには死者の声が聞こえるのか。作家個人の頭の働きだけで小説を書くという近代的作家像が確立される以前の手法で、魂を(死者や人間以外の存在とも)共鳴させるという芸能的な装置が石牟礼さんの中にあるのでは」と指摘されたと言いますが、興味の尽きない石牟礼文学に、多くの書き手たちも近年ますます惹きつけられているようです。『苦海浄土』をはじめとする作品の数々がいかにして書かれたのか。興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
評伝 石牟礼道子 渚に立つひと/米原浩二/新潮社/2376円(税込)




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